« 2007年08月 | メイン | 2007年10月 »

2007年09月30日

リンゴ狩と能面展

 昨年は10月に入ってリンゴ狩に出かけたが、今年は1,2週間ほど早めであったがまた出かけた。今年は小樽、余市から積丹半島、ニセコ、真狩村から洞爺湖を経ての旅で、昨年の登別、壮瞥、洞爺湖・支笏湖から室蘭の旅とは、北と南の位置関係となる旅となった。
 今回はもう一つの目的、同じブログ仲間の“面とーさん”さんの能面展を見に行くことで、この能面展が今月末までのこともあり、二つの目的を叶えるべく、出かけたのである。共に充分に堪能し、天気もまあまあで全行程1200kmとかなりの距離を走ったが、家内と交代で運転し景色も楽しみ、満足したものとなった。

 能面展は初めてある。家内が謡を若い頃からやっていたので、まったく関心がなかったということではないが、まじかに見、そして制作に関わる話を聞いたのは初めてで、その奥の深さに感心した。“面とーさん”さんのエンジニアという経歴からは、このような趣味を長く続けてこられたのは、ちょっと思いもよらず敬服した次第だ。私もかつてはエンジニアであったが、大体エンジニアなどという者には芸術性などということには縁遠いのだ。
 現役時代は仕事をしながらコツコツと能面作りを続け、引退後はそれに没頭、家族にも囲まれながら楽しむ“面とーさん”さんの姿は、定年後の理想的な姿であろう、素晴らしい過ごし方だ。

 リンゴ狩にはちょっと早かったかもしれない、でも津軽、さんさの2種類を手に入れ、その場でガブッとかじり歯ごたえと新鮮な甘酸っぱい果汁を楽しんだ。いわゆる、撥ねものを沢山購入、新鮮で味は変わらずこれで充分だ。
 ついでにニッカウィスキーの余市工場の見学をし、創業者の竹鶴政孝のリタ夫人の英国人でありながら日本人として生きたその生涯に触れ、戦前戦後を通じて日本での大変な思いを克服したその強さにも感心した。
 積丹半島では、海岸沿いに立ち並ぶ奇岩など、積丹岬と神威岬からの日本海を眺め、海鮮丼を食べて、さらに話題の北海道電力泊原発を眺めるなど、これまた楽しいものであった。
 ニセコでは、このような地で地価が上昇しているという稀有な例を目にしたのだ。オーストラリアを中心とした外国人の別荘需要からで、小奇麗な別荘住宅を横目に見てちょっと驚き、冬でないからかもしれないが人があまり見えないのには僅かな不安感を抱いた。
 もう一つあった。真狩村、ここは細川たかしの出身地であり、羊蹄山をバックにした彼の熱唱場面の銅像を見た。弟子屈町の横綱大鵬と同様、郷土のために尽くしている彼の姿は素晴らしい。私と家内は、彼の声質・声量から“日本のパバロッティ”と称している。

 今回の旅は定年後の北海度への移住があっての楽しみ、また移住ブログを通じての交流、こんなことができるのだ。


DSC04679.JPG
 ”面とーさん”さんの能面展。左側が小面、面つくりはこれに始まり、これに終わるそうだ。


DSC04710.JPG
 神威岬、目の前は日本海、心持水平線が丸く見える。


DSC04712.JPG
 ニセコの別荘街、外国人向けにはコンドミニアムなどもっと豪華のようだ。


DSC04716.JPG
 真狩村の英雄、細川たかしの像。郷土の発展に尽力する姿勢は素晴らしい。

2007年09月15日

輓馬!

”見よ! 人馬一体・開拓の息吹!!”という勇ましい惹句は、9月9日に
行われた第34回弟子屈町輓馬(ばんば)競技大会の広告チラシに載ってい
たもの。

その下には大きな馬がソリのような車を重そうにひく写真が大迫力で載って
おり、開催日時や注意事項などは思いっきりバラバラのフォントで表示されて
いて、ゴシック、ポップ体、勘亭流、ヒゲ文字等が大きさや太さもてんでんバラ
バラに散らばっています。
ひとことでいえばかなりダサいチラシなのですが、これがいかにも『田舎のイ
ベント』っぽい味わいで私のハートをわしづかみ!絶対見に行くぞ!と興奮
しました。

実はこの行事毎年あって、私は過去2年とても興味があったのですが都合で行
かれなかったのです。夫は「俺はイヤだよ」と興味無しだったのですが、前の晩
になるとしぶしぶ同行を決意。

さて当日、晴れわたって気分も上々。9時半開場の摩周輓馬場に行くとすでに
見物人も割合入っていて、めいめい持参のイスや敷物にすわり、知合いと挨拶
したりしています。そう、輓馬場は天然自然の中で行われ、コース周囲の柵の
外で適当に見物できます。

競技は馬の年齢順(によって、ひく積荷の重量が変わる。1歳馬メスは250kg)
または過去の実績で分けられ(700kgや900kgをひくレースもある)、計15レース
ありました。出走馬は1レース大体5頭。
コースは直線(300~400mくらい? )で、2ヶ所に障害となる大小の山が設けて
あります。どの馬も最初の小山は難なく通過、それから100mくらい先の大山が
勝負どころで、まさに人馬一体のスペクタクル!

山は砂土で、馬の足がめり込むのはわざと走りにくくしてあるのか、馬の足の保護
の為なのか不明。ここで、前足をひざまづいて上がっていけない馬も見ました。
積荷重量が増えると、どの馬もここで1~2回は止まってしまい鞭を入れられます。
それでも馬のサガなのか、隣の馬がウマく越えて走り出すと自分もがんばって乗り
越える場面が何回か見られました。
         教訓 ”何事にも良きライバルは必要”

騎手の皆様はというと、普通の酪農家や農家のおじさん、お兄さんの感じでねじり
鉢巻、下着のシャツ(とてもTシャツには見えない)、長靴といういでたちなど。太り
気味の人もいて、積荷の重量を増やしているのでは?と…
でも、鞭(ひも状で長い)を入れる時のそり返る様子が何ともカッコいいんだわー!

1レースだけスタート直後に騎手が積荷のそりから落ち、馬はそのまま前進。大山
の障害前で自ら「上りたくない」と判断したのか、コースから外れようとして横の2頭
を進路妨害し混乱。でも賭けはないので騎手も馬もおとがめ無しのようでした。

ゴールには大型トラクターが3台待機して、重い積荷を再度スタート地点に運ぶ作
業をくり返していました。イベントらしく食べ物業者のテント、収穫した農産物の店、
馬具を売る店等もあります。「関係者以外立ち入り禁止」の区域には近隣地域か
ら出走馬を運んできた大型のトレーラーが何台も並んでいました。

特別レース出走のポニー達やなぜか山羊の姿も見えたり。美留和地区の友人達も
来ていて、私の期待通りの楽しいイベントでした。  が、「少し馬がかわいそう」

      

2007年09月09日

お葬式

 しばらく続いた晴れの日も終わり、台風もあり待望の雨の日となり、畑に一雨と望んでいた人々にはほっとした週であった。
 お祭が9月1日、2日とあり、その後にお葬式が4日、5日と続き、なんと忙しいことであったか。私は自治会の役員であったので家内とともにフルに参加し、お祭ではしめ縄作りや玉串奉奠をしたり、お葬式では葬儀の執行副委員長を務めて、田舎暮らしにおける典型的な行事を体験したのである。

 この美留和の地のお葬式は次のようなものであった。まず、葬儀は自治会が中心になって執り行われる。美留和自治会は地域が広いため5つの地区に別れ、その地区の役員である理事が実質的責任者で葬儀副委員長、自治会長が委員長となり、その地区の会員が全員参加して葬儀を進めるのである。祭壇の設置などは葬儀社が行うが、会場作りや会場整理、受付や香典の受け取り、香典の領収書の発行や帳簿付けや費用の支払いなど、さらに遺族・親族や会葬者への食事などの用意などなど、ほとんど全ての作業を分担して地域の会員が行ったのである。遺族は別にして、親族はほとんどお客様として振舞い、まさに至れり尽くせりのお葬式であった。

 私が役員を務めている地区は、美留和の自治会で最大の会員数を占め、都会地を中心とした移住者(小学校の先生を含む)が6割強を占める。これらの人々はお葬式に対する経験がそれぞれ異なり、相当に戸惑いながらも、地元の人達と協力してなんとか葬儀を終えた。特に女性達は、通夜の食事や告別式の日には朝早くから食事を用意するなど大変な負担をこなしてくれた、役員として感謝の気持でいっぱいである。
 しかし、地元の人達は多くが参加したようであるが、移住者は自治会の活動に理解のある人達で半分弱程度、大体決まっているが致し方ない。地元の人達は高齢が進み戦力として期待できずその子供達は町外に行ってしまい、このような行事などは移住者の協力がなければ進めにくいだろう。

 このお葬式の進め方について一言。開拓時代のように貧しく人も少なく広い地域に分散している時代ならばいざ知らず、豊かな時になって何から何まで皆で行う習慣は如何なものか。もう少し葬儀社や様々なサービスを活用し、会員の負担を減らしてはどうか。また、香典の領収書の発行を止めて香典などの管理に親族が責任を持ってはどうだろか。この領収書の発行は北海道の独自の習慣のようであるが、これも開拓時代のなごりか。お金の取り扱いに慣れない人達が正確に領収書を発行し帳簿をつけるなど無理が多い、また問題も出るようだ。

 さて、弟子屈町の街中の人達にも聞いてみたが、確かにかつては同じであったが、最近は大分異なり負担は少なくなっているとのこと。人の流動性が高くなれば、それぞれの個人の問題として個人の負担においてお葬式も執り行われるだろう。
 ともかく大変な行事であり疲れた、田舎暮らしも楽ではない。


DSC04527.JPG

 度々登場する900草原からの摩周湖方面の景色、8月の終り、ムシトリナデシコのピンクの花が見られる。

2007年09月02日

熊野神社お祭

昨日、今日と美留和の熊野神社のお祭で、地元自治会がらみで夫も私も準
備や片付けの手伝いで多忙でした。それに今朝がたには自治会班長のお一
人が入院中に亡くなられたというお知らせ。今日午後からのお祭の打上げ慰
労会では、急遽お葬式の手伝いの打合わせも行うという慌しさ。不謹慎かも
しれませんが「盆と正月が一度に来たよう」でした。

もともと自治会に加入する移住者達(美留和の自治会メンバーは移住者がか
なり多い)は「郷に入れば郷に従え」という気持の強い人達ですが、加入しない
で自分達のライフスタイルを優先する方々もいます。それはそれで全くかまわな
いと私は思います。
しかし、お祭やお葬式でも地元と協力しようとしている移住者達にとって馴染め
ない伝統や風習が多いことも事実です。地元に残っている方達は高齢化し、冠
婚葬祭で地元の風習を守っていこうとしても、それを受け継ぐ若い人達は都市
に出て行って居ません。でもそういう風習に移住者も沿うのが当たり前と思って
いる地元の年配者は結構居るようです。というか、それ以外の考え方やり方が
有るということに気付いていないのかも知れません。

例えば熊野神社のお祭。男性陣はしめ縄作りから神社の清掃、余興会場の
設営、提灯をはりめぐらす作業等々。
女性達は2班に分かれ、社殿の掃除(このお社、正月とお祭の年2回しか開け
ない。賽銭箱もこの時期にしか置かない?? だから社殿をたまに掃除するとホコ
リがすごい)・神棚の飾りつけをする班と、後方支援で彼らの食事(100個近い
大きいオニギリと味噌汁)を用意すると共にお餅を二升五合つき(電気餅つき
機使用)、神棚のお供え餅を作り、寄付寄進者に配る260個の餅を丸めて2
個ずつ袋詰めする班とがあるのです。
ホントに、神社のためにこんな手作業を朝9時から集まって何時間もかけ
てやる必要があるのか?!

さすがに皆で毎年これをやっていたら改良・省略の方向に進むのかもしれませ
んが、美留和の熊野神社氏子エリアは6集落に分かれていて数年に1回の当
番なのです。そして当番集落が張り合っているところもあるらしく「以前○○地区
の配った餅は小さいと言われたから、今年は言われないように大きく造ろう」と
の料理チーフの号令一下、つきたてでアチチの餅を皆で丸め、見せかけ大きく
するために上から平たく潰したりして…けっこう楽しめる…あれ?

お祭の準備と片付けに集まったわが集落の人数は、男性25、女性15名程で
地元の方と移住者の比率は約半々だったでしょうか。

お祭本番といっても、神輿も山車も無いし担ぐ若い衆もいない。地元の小学校
全校児童17名と先生方、カラオケクラブのお歴々の演芸だけが賑やかでお祭
気分にしてくれます。屋台も夜店も地元の方達のボランティアらしいのが2、3軒。
あとはオジサン達がタバコを吸いながらお酒を飲んでいるのが目に付くばかり。
もう冷えた夜気が身に沁みる、北海道の小さい村祭です。

因みに美留和地区の熊野神社の由来は、明治の開拓でこの地域に入った人
達がヒグマの害に恐れをなし、熊を鎮める神社の建立を思い立ったのだとか。
で、ご神体を「熊」の語呂合わせで三重県の熊野の社から戴き祭ったという説
を聞きましたが、ホントかね。

我家に咲く北海道の野の花「エゾノホソバトリカブト」